歌を長く歌っていますと、 「やっぱり、歌う事が何より好きなんですか?」 と聞かれたりします。 さらには、「歌は命ですか?」 とか、「歌なくしては考えられない人生ですか?」 とか、 顔が赤くなってしまうような事を、尋ねられたりもします。 正直に申しますと、生来ぐうたらですから、 歌っているより、こたつに入って、おせんべいをかじりながら、 吉本新喜劇を見てる方がずっと幸せだったりします。
ところで、レッスンの中で、生徒さんに、「歌は、与えるもの」と言います。 歌い手は、作品(曲)を自分というフィルターに通して送り出し、 聴き手に世界を感じさせる役割ではないかと思ったりします。
例えば、上達の段階などで考えますと、 発表会等で、自分の歌を、1曲だけ披露する場合、一生懸命歌いさえすれば、 たくさんの拍手をもらえるはずです。 それは、緊張の中、歌い手の一生懸命な心が聴き手に伝わるからです。 しかし、少し慣れた歌い手が、聴き手の前で5曲歌うためには、 歌い手自身が、何のために歌っているかという事が、重要になってきます。 ただ、自分の満足を得るためだけの歌なら、 敏感な聴き手は、3曲目くらいで、席を立ってしまうかもしれません。
これが、さらに進み、例えば、リサイタルなどで、一人で20曲歌う場合、 その人の音楽観のみならず、歌い手自身の魅力といいましょうか、 生き方さえも、歌に反映させながら世界を与えていなくては、 おそらく、ステージはもたないかもしれません。
生き方と言っても、必ずしも、品行方正で立派な人でなくてよいのです。 歌を聴いて、「こんな人とちゃうやろか」とか、「わたしと一緒や~」と 想像し得るような歌が歌えるという事です。 そうなると、「この人の歌、なんか自分にしっくりくるわぁ、」 とか、 「なんでかわからんけど、好きやなぁ。」 とかなるわけです。
歌っている時も、そうでない時も、出会ったいろいろな人に、 何かを与えられるといいのになぁ、と思う今日この頃です。 聴き手のために歌う、ということは、一見、"世のため人のため" のように思いますが、 実は、自分自身のためであるという事に、少しずつ気づいていく事と思います。